寺の歴史・御本尊

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慈眼寺の歴史

敏達天皇(572~585年)の代に朝鮮半島の国 百済より来日した日羅上人が霊的なものを感じ訪れた山の山頂に寺を開いた。これが三草山清山寺である。この時以来、美奴売神の宿る山 美奴売山(みぬめやま)を改め三草山(みくさやま)と呼ぶようになった。
日羅上人が山頂に清山寺を建立し、山の麓に四十九院の寺院を廻らし一山聖地という形にし大仏教都市を造った。この四十九院の一つが当寺の前身自雲庵である。その後、延徳2年(1490年)芳寿和尚が永琛和尚(曹洞宗洞雲寺2世)を師とし 開祖として再興した。これが慈眼寺である。

御本尊

延命地蔵願王大菩薩

ご本尊
延命地蔵願王大菩薩
(えんめいじぞうがんのうだいぼさつ)

お唱えする言葉(地蔵菩薩真言)
オン カ カ カ ビ サンマ エイ ソワ カ
「オン」は「帰依します (すべてをあなたに委ねます) 」
「カカカ」は「笑い声」
「ビサンマエイ」は「稀有なるもの」
「ソワカ」は「成就」。「叶えたまえ」

お地蔵様とは

地蔵菩薩は極楽往生出来ず、輪廻の輪の中の六道という六つの世界でさまよい続ける人まで救済するためには、地獄などの六道世界にさえも一つ一つ足を運ぶことをいとわない菩薩さまなのです。お地蔵様はよく6人セットで登場します。そしてそれは「六地蔵」と呼ばれます。これは六道の6つの世界それぞれにお地蔵様が現れることから「六地蔵」と呼ばれています。六道の中でも最悪の場所はもちろん地獄です。罪ある人を地獄に堕とそうとする裁判長の閻魔さま。それに待ったをかけて救いの手を差し伸べるのが地蔵菩薩で、いわば、地獄裁判の弁護士というところ。この点も地蔵菩薩の人気の理由です。ところがこの裁判長の閻魔さまは、地蔵菩薩の変身したお姿なのです。穏やかな外見の地蔵菩薩が実は閻魔さまだとは信じがたいし、裁判長と弁護士の両方が地蔵菩薩ってどういうことなのでしょうか?

世界の隅々まで歩き回って人々の行いをつぶさに見ている地蔵菩薩だからこそ、閻魔として裁判でフェアな判断ができるわけです。そして、裁判長と弁護士が同一なら、もしかして一生懸命、地蔵菩薩を信じれば、成仏も何とかなるかも・・・。人々は地獄の一歩手前での無罪判決に期待して地蔵菩薩にすがろうとするのです。地蔵菩薩はかなりの激務をこなす仏さまです。親より先に死んだ子供は親を悲しませ、親孝行もしないままなので成仏できません。賽の河原で永遠に石を積む苦役に晒されている子供たちの元へも地蔵菩薩は率先して足を運び、鬼から子供を守り、話しをして功徳をあたえ、子供たちを成仏させてやります。「子安地蔵」として妊婦の安産を守護してやり、「身代わり地蔵」として災難に遭った人の苦しみを引き受けてやり、「道祖神」として集落や道を守るなど、色々な顔のお地蔵さんとして人々の生活を支えてくださる存在なのです。