大阪のてっぺん
能勢の三草山の麓にある寺
慈眼寺

慈眼寺の歴史

敏達天皇(572~585年)の代に朝鮮半島の国 百済より来日した日羅上人が霊的なものを感じ訪れた山の山頂に寺を開いた。これが三草山清山寺である。この時以来、美奴売神の宿る山 美奴売山(みぬめやま)を改め三草山(みくさやま)と呼ぶようになった。
日羅上人が山頂に清山寺を建立し、山の麓に四十九院の寺院を廻らし一山聖地という形にし大仏教都市を造った。この四十九院の一つが当寺の前身自雲庵である。その後、延徳2年(1490年)芳寿和尚が永琛和尚(曹洞宗洞雲寺2世)を師とし 開祖として再興した。これが慈眼寺である。

寺の歴史・御本尊

年中行事・各施設

年中行事・各施設の一覧

曹洞宗放光山
慈眼寺

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